柳川鍋の柳川とは何の意味?
ドジョウ(鰌、泥鰌)料理が一般に世に出たのは江戸時代、文化元年に浅草の越後屋が
ドジョウ料理店として開業したのが最初だといわれる。
もっともこのころは単なるドジョウの丸煮であったらしい。
ドジョウの骨や内臓をとりゴボウなどを入れて煮込んだ料理法を考えたのは、
文政以後南伝馬町三丁目の万屋であるとか、本所石原の石井というウナギ料理屋だっったとかいわれる。
現在の様な卵でとじた柳川鍋と呼ばれる料理をはじめたのは、日本橋横山町の料理屋であったという説が一般的だ。
なぜ柳川鍋と命名されたかについては、二説ある。
料理屋の屋号が「柳川」であったからと説と、使われていた鍋が築後柳川付近の窯で焼かれたものだったからという説だ。
ところで、ドジョウ料理屋の看板には「どぜう」と書かれているのはなぜか。
旧かなづかいにしても「どじやう」になるはずだ。
この理由も二説あり、ひとつは料理店では、昔から偶数を嫌う。
とくに四は死につうじることから避けられる数字出である。
そこで四文字のドジョウを三文字にしてしまったという説。
もうひとつの説は、初代が看板に「どじゃう」と四文字書き入れようとしたが、どうしてもスペースが足りず
しかたなく三文字で書き表したというものである。
byチェリー号船頭の雑学
名古屋港の朝日
byチェリー号船頭の雑学
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