2015年03月27日
ブリコはブリの子?
タラコは無論タラ(鱈)の腹子のことだが、ブリコはブリ(鰤)の腹子かというとそうではない。
ブリコは、秋田名産ハタハタ(鰰)の卵のことである。
なぜこんなややこしい名前になったのかについては多説ある。
そのひとつはブリコの粒は直径2,5mmもあり、丸くて歯ごたえがある。
かむと”ブリブリ”という音がするという説である。
また秋田の藩主であった佐竹義宣にまつわる説も有力だ。
佐竹氏は秋田藩主になる前は水戸藩主であった。
当時彼はブリが大好物で、正月にはかならず食膳にブリをのせる習慣があった。
ところが石田光成に加担した疑いで秋田に左遷させられてからは産地の関係でブリは食べられない。
そこでハタハタを代用として食したのだが、ブリをなつかしんでハタハタの腹子をブリコと呼んだ、
ということが「採薬使記」という本にでている。
佐竹氏にまつわるブリコの命名説にはもうひとつあって、
こちらは氏が一時期ハタハタの漁を禁じたため、密漁者たちが、ハタハタの子をブリの子といつわって売っていたためだという。
ところで「秋田名物、ハタハタ・・・・・」とうたわれる秋田音頭の一節のように、ハタハタが秋田の名物になった由来は、
佐竹氏が水戸のハタハタを秋田に移植したためだともいわれている。
ハタハタは「佐竹魚}と呼ばれることもあった。
いずれにしても、ハタハタと佐竹家はひじょうに縁が深いといえるだろう。
byチェリー号船頭の雑学
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ブリコは、秋田名産ハタハタ(鰰)の卵のことである。
なぜこんなややこしい名前になったのかについては多説ある。
そのひとつはブリコの粒は直径2,5mmもあり、丸くて歯ごたえがある。
かむと”ブリブリ”という音がするという説である。
また秋田の藩主であった佐竹義宣にまつわる説も有力だ。
佐竹氏は秋田藩主になる前は水戸藩主であった。
当時彼はブリが大好物で、正月にはかならず食膳にブリをのせる習慣があった。
ところが石田光成に加担した疑いで秋田に左遷させられてからは産地の関係でブリは食べられない。
そこでハタハタを代用として食したのだが、ブリをなつかしんでハタハタの腹子をブリコと呼んだ、
ということが「採薬使記」という本にでている。
佐竹氏にまつわるブリコの命名説にはもうひとつあって、
こちらは氏が一時期ハタハタの漁を禁じたため、密漁者たちが、ハタハタの子をブリの子といつわって売っていたためだという。
ところで「秋田名物、ハタハタ・・・・・」とうたわれる秋田音頭の一節のように、ハタハタが秋田の名物になった由来は、
佐竹氏が水戸のハタハタを秋田に移植したためだともいわれている。
ハタハタは「佐竹魚}と呼ばれることもあった。
いずれにしても、ハタハタと佐竹家はひじょうに縁が深いといえるだろう。


2015年03月07日
鮨の起源は?
現代の鮨は新鮮なナマの魚を、食酢で調理した鮨飯の上に乗せて食べるが、古代の鮨とは、魚を自然発酵させて酸味を出した食品をさしていた。
鮨の元祖は、タカの一種であるミサゴという鳥のエサを横取りして賞味していたものだといわれている。
ミサゴは魚をとっては巣に運び、つねに食物のストックをしておく。
そして古い魚は発酵して酸味がでてくる。
これを人間が食べたところ、たいへん美味で、ミサゴ鮨として喜ばれるようになったのである。
またあくまで伝説だが、讃岐国に住む老夫婦がミサゴにエサとして残飯を与えた。
するとミサゴはその飯を食べようとせず、とってきた魚を飯の上に次々と置いていく。
老夫婦は、これはエサをくれたお礼に獲物をくれたのだろうと思い、持ち帰り食べたところ、たいへんおいしく、これが鮨の始まりだという。
しかし古代には鮨ダネと飯をいっしょに食すことはなく、平安朝の時代になってから、炊き立ての飯を加えるようになった。
ただし種の発酵を促すだけの目的だったので、飯は食べず種だけを口にいていたのである。
魚と飯が結び付いたのは江戸時代に入ってからのことだが、このころもまだ握り鮨とはほど遠い食べ物だった。
塩を加えた魚の腹に飯をつめ込んで圧力をかけ自然発酵させたものである。
天明のころに巻き鮨が世に出始め、握り鮨ができたのは文政初年のことである。
二代目華屋与兵衛という人が考案したこの握り鮨は、あっという間に江戸で普及し、鮨と言えば握り鮨のことをさすようになった。
ところで握り鮨がではじめたころは、ナマ魚や酢漬けの魚のほか、煮物の魚を多く使用していたが、現在ではアナゴ(穴子)程度に衰退してしまった。
また、現在では鮨に欠かせないマグロ(鮪)も、当時は鮨種ダネとしてはきらわれていたという。
byチェリー号船頭の雑学
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鮨の元祖は、タカの一種であるミサゴという鳥のエサを横取りして賞味していたものだといわれている。
ミサゴは魚をとっては巣に運び、つねに食物のストックをしておく。
そして古い魚は発酵して酸味がでてくる。
これを人間が食べたところ、たいへん美味で、ミサゴ鮨として喜ばれるようになったのである。
またあくまで伝説だが、讃岐国に住む老夫婦がミサゴにエサとして残飯を与えた。
するとミサゴはその飯を食べようとせず、とってきた魚を飯の上に次々と置いていく。
老夫婦は、これはエサをくれたお礼に獲物をくれたのだろうと思い、持ち帰り食べたところ、たいへんおいしく、これが鮨の始まりだという。
しかし古代には鮨ダネと飯をいっしょに食すことはなく、平安朝の時代になってから、炊き立ての飯を加えるようになった。
ただし種の発酵を促すだけの目的だったので、飯は食べず種だけを口にいていたのである。
魚と飯が結び付いたのは江戸時代に入ってからのことだが、このころもまだ握り鮨とはほど遠い食べ物だった。
塩を加えた魚の腹に飯をつめ込んで圧力をかけ自然発酵させたものである。
天明のころに巻き鮨が世に出始め、握り鮨ができたのは文政初年のことである。
二代目華屋与兵衛という人が考案したこの握り鮨は、あっという間に江戸で普及し、鮨と言えば握り鮨のことをさすようになった。
ところで握り鮨がではじめたころは、ナマ魚や酢漬けの魚のほか、煮物の魚を多く使用していたが、現在ではアナゴ(穴子)程度に衰退してしまった。
また、現在では鮨に欠かせないマグロ(鮪)も、当時は鮨種ダネとしてはきらわれていたという。


2015年03月05日
競泳選手と魚ではどちらが速い?
水泳の上手な人を「まるで魚のようだ」とほめたたえるが、では人間と魚の泳ぐ速度を比較してみるとどうなるだろう。
競泳種目のうちいちばんスピードの速い泳法はクロールであり、時速7,2キロ、秒速2メートルくらいである。
つぎに背泳ぎやバタフライで時速6,5キロ、平泳ぎがいちばん遅く、時速5,7キロくらいだ。
人間の場合は競技が有り、きちんと速さを計測することができるが、自由に泳ぎまわる魚の場合は正確な速さを知ることはなかなかむずかしい。
しかし学者たちの長年の研究で、ある程度の速度は推測される。
それによると、いくら魚のようにスイスイと泳ぐことのできる一流競泳選手でも、魚のスピードにはいささかギブアップするしかなさそうだ。
いちばんのスピード記録保持者はバショウカジキ(芭菖梶木)、時速約100㎞で泳ぐことができる。
自動車並のスピードである。
マグロ(鮪)やヨシキリザメ(葦切鮫)になると少しスピードが落ち、時速70㎞前後だが、それでもクロールの約10倍もの速さで泳ぐことに成る。
マダラ(真鱈)やサケ(鮭)のように体長が少し小さくなると、スピードもぐっと落ち、時速12㎞前後に成り、クロールの2倍程度となる。
コイ(鯉)も同じぐらいである。
しかしさらに体が小さい魚になれば、人間が競泳に挑んでもどうにか対等に泳げそうだ。
たとえばカワカマス(川野、川?)で時速約7,7㎞、ニシン(鰊)は時速約5,7㎞だから、勝てる可能性があるかもしれない。
ちなみに、どんな水泳ベタでも絶対に勝てるのが、タツノオトシゴ(竜の落とし子)だ。
数ある魚のうちでももっとも泳ぎが遅く、その時速は約16m。
1秒間に4,5mmしか泳げないのである。
byチェリー号船頭の雑学
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競泳種目のうちいちばんスピードの速い泳法はクロールであり、時速7,2キロ、秒速2メートルくらいである。
つぎに背泳ぎやバタフライで時速6,5キロ、平泳ぎがいちばん遅く、時速5,7キロくらいだ。
人間の場合は競技が有り、きちんと速さを計測することができるが、自由に泳ぎまわる魚の場合は正確な速さを知ることはなかなかむずかしい。
しかし学者たちの長年の研究で、ある程度の速度は推測される。
それによると、いくら魚のようにスイスイと泳ぐことのできる一流競泳選手でも、魚のスピードにはいささかギブアップするしかなさそうだ。
いちばんのスピード記録保持者はバショウカジキ(芭菖梶木)、時速約100㎞で泳ぐことができる。
自動車並のスピードである。
マグロ(鮪)やヨシキリザメ(葦切鮫)になると少しスピードが落ち、時速70㎞前後だが、それでもクロールの約10倍もの速さで泳ぐことに成る。
マダラ(真鱈)やサケ(鮭)のように体長が少し小さくなると、スピードもぐっと落ち、時速12㎞前後に成り、クロールの2倍程度となる。
コイ(鯉)も同じぐらいである。
しかしさらに体が小さい魚になれば、人間が競泳に挑んでもどうにか対等に泳げそうだ。
たとえばカワカマス(川野、川?)で時速約7,7㎞、ニシン(鰊)は時速約5,7㎞だから、勝てる可能性があるかもしれない。
ちなみに、どんな水泳ベタでも絶対に勝てるのが、タツノオトシゴ(竜の落とし子)だ。
数ある魚のうちでももっとも泳ぎが遅く、その時速は約16m。
1秒間に4,5mmしか泳げないのである。

