2015年07月27日
女性のシンボルに似た貝、
女性のシンボルに似た貝、
イガイと清少納言の関係二枚貝のイガイ(貽貝)は、吉原貝、似たり貝、姫貝、東海夫人といった異名や地方名を持っている。
これだけでも想像ができるように、その身の形が女性の”シンボル”によく似ている貝である。
そのためある地方では”標本”としてみやげ物にしていた。
もっとも戦時中は風紀が乱れるという理由で販売禁止になったというエピソードもおまけについているが。
このイガイには、なぜか清少納言にまつわる伝説がある。
徳島県鳴門市里浦町に伝わる話では、清少納言が阿波に向かう途中嵐にあい、この地に漂着した。
あまりに美しい女性なので、集まってきた漁民たちが情交を迫った。
しかし彼女が抵抗するため、ひとりの男が彼女を殺して局部をえぐって、それを海に投げるという暴挙を行ってしまった。
それから間もなくその海からイガイが異常にとれるようになったのだという。
彼女が必死に抵抗しながら「見ている者は目がつぶれる!」と叫んだことが現実となり、目が腐った漁民が続出、
彼女の怨念を払うべく供養のために建てた塚が、いまもこの地に残っている。
一方、兵庫県西宮市には、恋のはかなさを呟いた清少納言が、自らの手で局部をえぐり海中に身を投げたという伝説がある。
その彼女の局部がイガイになったのだという。
なぜ清少納言に結び付けて考えられたのかはわからないが、女性の代表として扱われたと考えれば彼女にしてもそう悪い気はしないかもしれない。
byチェリー号船頭の雑学
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イガイと清少納言の関係二枚貝のイガイ(貽貝)は、吉原貝、似たり貝、姫貝、東海夫人といった異名や地方名を持っている。
これだけでも想像ができるように、その身の形が女性の”シンボル”によく似ている貝である。
そのためある地方では”標本”としてみやげ物にしていた。
もっとも戦時中は風紀が乱れるという理由で販売禁止になったというエピソードもおまけについているが。
このイガイには、なぜか清少納言にまつわる伝説がある。
徳島県鳴門市里浦町に伝わる話では、清少納言が阿波に向かう途中嵐にあい、この地に漂着した。
あまりに美しい女性なので、集まってきた漁民たちが情交を迫った。
しかし彼女が抵抗するため、ひとりの男が彼女を殺して局部をえぐって、それを海に投げるという暴挙を行ってしまった。
それから間もなくその海からイガイが異常にとれるようになったのだという。
彼女が必死に抵抗しながら「見ている者は目がつぶれる!」と叫んだことが現実となり、目が腐った漁民が続出、
彼女の怨念を払うべく供養のために建てた塚が、いまもこの地に残っている。
一方、兵庫県西宮市には、恋のはかなさを呟いた清少納言が、自らの手で局部をえぐり海中に身を投げたという伝説がある。
その彼女の局部がイガイになったのだという。
なぜ清少納言に結び付けて考えられたのかはわからないが、女性の代表として扱われたと考えれば彼女にしてもそう悪い気はしないかもしれない。


2015年07月10日
海苔の表と裏はどう見分ける?
海苔の表と裏はどう見分ける?
紙に表と裏がある様に、ノリにも表と裏の区別がある。
ノリをよく見てもらうとわかるが、ノリには光沢がある面と、光沢がなく少しザラついた感じのある面とがある。
ふつう光沢のある側を表と考えがちだが、じつはこちらは裏。
光沢のないほうが表なのである。
これはノリの製法を考えるとよくわかる。
ノリは岩石などに生えているヌルヌルした海藻を水洗いし、包丁で細かく刻む。
それを簀に流し込み、乾燥させてつくられる。
感想は日光にあてて行うが、この日光にあたった側が表になるのである。
ノリが簀に流し込まれたとき、簀に接する面はたいらになり光沢が出るのだが、
日光にあたる上面は少しデコボコがつき光沢が出ない。
もちろん表側が乾いたら裏返してもう一度乾かすのだが、乾燥時間は裏側の方がだいぶ少ないので表裏がはっきり決まってしまう。
ちなみにノリの語源は、ナマのノリがヌラヌラしているところから、
「ヌラ」が「ヌラリ」となり、さらになまって「ノリ」になったといわれている。
byチェリー号船頭の雑学
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紙に表と裏がある様に、ノリにも表と裏の区別がある。
ノリをよく見てもらうとわかるが、ノリには光沢がある面と、光沢がなく少しザラついた感じのある面とがある。
ふつう光沢のある側を表と考えがちだが、じつはこちらは裏。
光沢のないほうが表なのである。
これはノリの製法を考えるとよくわかる。
ノリは岩石などに生えているヌルヌルした海藻を水洗いし、包丁で細かく刻む。
それを簀に流し込み、乾燥させてつくられる。
感想は日光にあてて行うが、この日光にあたった側が表になるのである。
ノリが簀に流し込まれたとき、簀に接する面はたいらになり光沢が出るのだが、
日光にあたる上面は少しデコボコがつき光沢が出ない。
もちろん表側が乾いたら裏返してもう一度乾かすのだが、乾燥時間は裏側の方がだいぶ少ないので表裏がはっきり決まってしまう。
ちなみにノリの語源は、ナマのノリがヌラヌラしているところから、
「ヌラ」が「ヌラリ」となり、さらになまって「ノリ」になったといわれている。


2015年07月05日
ドジョウは腸で呼吸をする。
ドジョウは腸で呼吸をする。
魚屋などで、ドジョウ(鰌、泥鰌)が水の張った桶の中を水面まで垂直にあがってきてはまたさっと
底にもぐる動作をくり返しているのを見たことのある人は多いはずだ。
そのようすがまるで踊りを踊っているように見えるため、ドジョウを「オドリコ」という美しい名で呼ぶこともある。
しかしドジョウの上下運動は、なにも人間に踊りを見せているわけではない。
生きていくうえで大切な作業をしているのである。
ドジョウは水のなかにすむのでエラ呼吸する魚のように思えるが、じつは空気を呼吸する魚なのである。
そのため、とこどきすいめんまであがり、空気を飲み込まなくてはならない。
ドジョウの上下運動は、空気の摂取が目的なのである。
空気呼吸をするためには、人間のような肺が必要だ。
しかしドジョウには肺が無い、ではどこで呼吸するかといえば、なんと腸なのである。
口から飲み込んだ空気は胃をとおって腸へいく。
腸の周辺には毛細血管がびっしり集まっており、それが肺の役目をして、酸素を吸収するのである。
排気は肛門から気泡に成って外に排出される。
人間の場合は、息を吸うのも吐くのも口だがドジョウは口から息を入れ、消化器を通って肛門で吐くという、
一直線の流れをもっているわけだ。
byチェリー号船頭の雑学 続きを読む
魚屋などで、ドジョウ(鰌、泥鰌)が水の張った桶の中を水面まで垂直にあがってきてはまたさっと
底にもぐる動作をくり返しているのを見たことのある人は多いはずだ。
そのようすがまるで踊りを踊っているように見えるため、ドジョウを「オドリコ」という美しい名で呼ぶこともある。
しかしドジョウの上下運動は、なにも人間に踊りを見せているわけではない。
生きていくうえで大切な作業をしているのである。
ドジョウは水のなかにすむのでエラ呼吸する魚のように思えるが、じつは空気を呼吸する魚なのである。
そのため、とこどきすいめんまであがり、空気を飲み込まなくてはならない。
ドジョウの上下運動は、空気の摂取が目的なのである。
空気呼吸をするためには、人間のような肺が必要だ。
しかしドジョウには肺が無い、ではどこで呼吸するかといえば、なんと腸なのである。
口から飲み込んだ空気は胃をとおって腸へいく。
腸の周辺には毛細血管がびっしり集まっており、それが肺の役目をして、酸素を吸収するのである。
排気は肛門から気泡に成って外に排出される。
人間の場合は、息を吸うのも吐くのも口だがドジョウは口から息を入れ、消化器を通って肛門で吐くという、
一直線の流れをもっているわけだ。

2015年07月02日
クマノミとイソギンチャクの共生関係はウソ
クマノミとイソギンチャクの共生関係はウソ
お互いに利害を分けあって生物が生活することを”共という。
海の生物の共生の代表といわれるのが体長15㎝ほどのスズメダイ科の魚クマノミ(熊の実)とイソギンチャク(磯巾着)の関係である。
クマノミはひらひらと動くイソギンチャクの触手のなかに入り込んで生活することで、外敵から身を守る。
イソギンチャクの触手には刺胞というものがあり、これは毒をもっている。
この毒で、近づいた小魚を倒してエサにしているのだが、クマノミにだけは毒がきかない。
クマノミの体表から、この毒の免疫となる粘液を出しているからだといわれている。
共生というからには、イソギンチャク側もクマノミからなんらかの利益を受けているはずである。
一般には、クマノミがイソギンチャクのなかでじゆうに泳ぎまわっていることで、エサとなるほかの魚を安心させて
引き寄せるとか、食べ残しを掃除するなどの役目を果たしているといわれる。
そこで共生の代表選手のようにいわれてきたわけだが、最近の調査によると、純然たる共生とは考えにくくなっているようだ。
昔からいわれるクマノミの役割も可能性としてはある。
しかしクマノミはイソギンチャクの触手の間を泳ぐだけでなく腸内まで入り込んだり、
触手を食べてしまったりすることもあることがわかりはじめた。
だとすれば、双方の利益はクマノミの方がだんぜん多く、イソギンチャク側は不本意ながら不利な立場にいるといえる。
どうも従来考えられていた双方のほほえましい関係は視点をかえたほうがいいようだ。
byチェリー号船頭の雑学
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お互いに利害を分けあって生物が生活することを”共という。
海の生物の共生の代表といわれるのが体長15㎝ほどのスズメダイ科の魚クマノミ(熊の実)とイソギンチャク(磯巾着)の関係である。
クマノミはひらひらと動くイソギンチャクの触手のなかに入り込んで生活することで、外敵から身を守る。
イソギンチャクの触手には刺胞というものがあり、これは毒をもっている。
この毒で、近づいた小魚を倒してエサにしているのだが、クマノミにだけは毒がきかない。
クマノミの体表から、この毒の免疫となる粘液を出しているからだといわれている。
共生というからには、イソギンチャク側もクマノミからなんらかの利益を受けているはずである。
一般には、クマノミがイソギンチャクのなかでじゆうに泳ぎまわっていることで、エサとなるほかの魚を安心させて
引き寄せるとか、食べ残しを掃除するなどの役目を果たしているといわれる。
そこで共生の代表選手のようにいわれてきたわけだが、最近の調査によると、純然たる共生とは考えにくくなっているようだ。
昔からいわれるクマノミの役割も可能性としてはある。
しかしクマノミはイソギンチャクの触手の間を泳ぐだけでなく腸内まで入り込んだり、
触手を食べてしまったりすることもあることがわかりはじめた。
だとすれば、双方の利益はクマノミの方がだんぜん多く、イソギンチャク側は不本意ながら不利な立場にいるといえる。
どうも従来考えられていた双方のほほえましい関係は視点をかえたほうがいいようだ。


2015年07月01日
紫式部は大のイワシ党だった。
紫式部は大のイワシ党だった。
イワシ(鰯)には「紫」という異名がある。
『源氏物語』の作者、紫式部の大好物がイワシであったことからきているともいわれるが、これはこじつけのようである。
昔から、イワシは下賤な魚とされていた。
いやしい魚だからイヤシなどともいわれ、上流階級の人々は、うまいからといっておおやけにイワシを食べられなかったのである。
悲しいかな、紫式部も大好きなイワシに舌つづみを打つことのできない隠れイワシ党であった。
ある日、夫が外出をした。
彼女はこれ幸いと、イワシを焼いて食べたのである。
ところが、早目に帰宅した夫にその匂いをかぎつけられ、事はなんなく発覚してしまった。
夫は、すぐにこれをたしなめたが、彼女は、「日の本に はやらせ給う いわしみず まいらぬ人はあらじとぞおもう」
と詠み逆に夫をやり込めてしまったという。
この話は、江戸時代の『倭訓栞』にかかれているが、室町時代に書かれた『猿源氏草紙』には、
紫式部ではなく和泉式部の話になっている。
どちらにしてもさすがに名を残す才女、当時多くの信仰を集めていた岩清水八幡の「いわし」にイワシをひっかけたのである。
だが、いまでこそ、イワシブームとかで、もてはやされているイワシも、江戸時代の人々には下魚のイメージが強くせっかくの
式部の歌にも「まいらぬは なしとイワシのへらず口」など、
川柳でひやかしの声も出るしまつであったようだ。
byチェリー号船頭の雑学
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イワシ(鰯)には「紫」という異名がある。
『源氏物語』の作者、紫式部の大好物がイワシであったことからきているともいわれるが、これはこじつけのようである。
昔から、イワシは下賤な魚とされていた。
いやしい魚だからイヤシなどともいわれ、上流階級の人々は、うまいからといっておおやけにイワシを食べられなかったのである。
悲しいかな、紫式部も大好きなイワシに舌つづみを打つことのできない隠れイワシ党であった。
ある日、夫が外出をした。
彼女はこれ幸いと、イワシを焼いて食べたのである。
ところが、早目に帰宅した夫にその匂いをかぎつけられ、事はなんなく発覚してしまった。
夫は、すぐにこれをたしなめたが、彼女は、「日の本に はやらせ給う いわしみず まいらぬ人はあらじとぞおもう」
と詠み逆に夫をやり込めてしまったという。
この話は、江戸時代の『倭訓栞』にかかれているが、室町時代に書かれた『猿源氏草紙』には、
紫式部ではなく和泉式部の話になっている。
どちらにしてもさすがに名を残す才女、当時多くの信仰を集めていた岩清水八幡の「いわし」にイワシをひっかけたのである。
だが、いまでこそ、イワシブームとかで、もてはやされているイワシも、江戸時代の人々には下魚のイメージが強くせっかくの
式部の歌にも「まいらぬは なしとイワシのへらず口」など、
川柳でひやかしの声も出るしまつであったようだ。

