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2017年10月28日

コノシロはお稲荷さんのお使姫

コノシロはお稲荷さんのお使姫
鮨屋で「コハダ(小鰭)を握ってくれ」などといいながら、このコハダとコノシロ(鰶・鮗)が同じ魚であることに気づいていない人も多い。
コハダはコノシロの幼名である。
一般的には稚魚の時はシンコ(新子)、中年魚以下をコハダ、成魚をコノシロと呼
コノシロの名の由来について、古書「慈元抄」のなかにつぎのような話が残っている。
昔、常陸(ひたち)の国(茨城県)に嫁ぐことが決まっていた娘に恋人ができ、娘は懐妊までしてしまった。
困った両親が、娘は急病で死んだことにし、お棺の中に、焼くと人の焼く匂いがするといわれたコノシロを娘のかわりに入れたのである。
そして葬式をし、そのお棺を焼いて、常陸の国からの使いを納得させた。
それ以来、ツナシと呼ばれていたこの魚を”子の変わり”、”子の代”でコノシロというようになったという。
コハダの名についても「塵塚談(ちりずかだん)」につぎのような話が残っている。
ある城で行われた宴会の席に、コノシロの塩焼きが出された。
家来が「コノシロはウマイ」といったところ、殿様が「この城が食べられては困る」と、コノシロをコハダと呼ばせるようにしたとある。
武士はまた、コノシロは死ぬときにお腹が切れることから「切腹魚」と呼び、前の話とともにコノシロを嫌って食べなくなったといわれる。
しかし、江戸っ子たちは、江戸湾で九月ころからとれ出す新子や秋なかばのコハダの早鮨を好んで食べたようだ。
コノシロはお稲荷さんの祭りである。
二月の初午の日に神前にそなえられる。
この祭りに使われるので「?」とも書く。
コノシロは稲荷の使姫(つかいひめ)で、狐の好物ともされた。
神官は、初午の翌日まで、そなえられたコノシロを肴に酒を飲んだということである。
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2017年10月27日

江戸に春を告げたシラウオ

江戸に春を告げたシラウオ
ニシン(鰊)が北海道の春告魚であったように、シラウオ(白魚)は、江戸に春を告げた。
早春、産卵のために隅田川をのぼってきたからである。
江戸のシラウオが、そもそも名をあげたのは徳川家康によるものと伝えられちいる。
隅田川のシラウオは、自分の故郷、三河のシラウオを隅田川に移植したものとする説もある。
また、慶長十八年、佃島の魚師が江戸近海で漁をしていたとき、白い小魚がたくさんとれた。
漁師の中に摂津(兵庫県)の者がおり、この魚の頭に葵の紋様(シラウオは半透明で脳が透きとおって見える)
があったので、シラウオではないかと将軍に届け出た。
家康は三河でもとれるシラウオが好物だったので「江戸でシラウオがとれるのは吉兆のしるし」と大喜びしたという。
以後、シラウオは、三月の一日にはかならず徳川家に献上された。
さらに、一月十七日には、「御神酒(おみき)流し」というシラウオの祭りが行われ、
佃島の住吉神社の神官や囃子方(はやしかた)などが舟に乗り、お神酒を川に流して川を浄めた。
この行事は、家康の命令で隅田川にシラウオはの稚魚を放った際、
その成長を住吉神社に祈願したことに由来しているともいわれている。
シラウオは成魚で10~12センチという、太平洋沿岸にすむシラウオ科の小さな魚である。
サケ同様、川で生まれ、海で育ち、再び川をのぼって上流で産卵する。
シラウオはサケ・マスの仲間でもあり、それらの魚と同様、背の後ろにアブラビレという小さなヒレがある。
シラウオの旬は、産卵のため川をのぼりはじめる早春のころである。
川の上流、産卵場所へ近づくほどまずくなる。
同じく「素魚」や「白魚」と書き、シラウオと呼ぶ博多名産の魚は、シラウオとは別種のハゼ科の魚である。
シラウオは吸い物や天ぷら、卵とじなど加熱した方がおいしいが、シラウオなまで食べるほうがおいしいとされる。
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2017年10月26日

ひと起こし千両の春告魚

ひと起こし千両の春告魚「ニシンクキル」とはニシン(鰊)が大群でやってくるという意味で、「群来る」である。
北海道の長い冬はこの言葉で終わる。
ニシンの群れは春の訪れをいちばんに知らせてくれるのだ。
ゆえにニシンのことを春告魚とも呼んだ。
北海道の人々にとってニシンは、春を告げるだけでなく、この一年の生活の糧でもあった。
かってニシンは「ひと起こし千両」といわれるほどの黄金時代があったのである。
三月、ニシンは産卵のため、群れをなして沿岸に近づいてくる。
その際、「クキジル(群来汁)」といって、海は雄の放出した精液で真っ白になってしまうほどであったという。
ニシンは産卵後はいっせいに引きあげてしまうので、漁はその短期間のうちにすませなければならない。
村を上げての漁であるが、みな不眠不休の状態で、人出も足らない。
そこで、「ヤンシュウ」といって、東北地方の人々が出稼ぎにきていた。
この一週間の漁で水揚げしたニシンにより、網元では、ニシン御殿が造られたり、
出稼ぎの人々も一年分の生活費が出たという時代もあったようだ。
カズノコ(数の子)をお腹に持った春告魚の味は格別であったようだが、
六月から七月にかけてとれる「バカニシン」の味は悪く、春ニシンとは格別の差であったという。
現在は、春告魚もバカニシンもほとんどとれなくなってしまい、遠洋の冷凍ものか、輸入ものである。
さて、ニシンのことを東北地方や北海道の一部では「カド」と呼んでいる。
これはアイヌ語の名残りで、カズノコはカドノコからきているといわれる。
山形県では春のカド焼きといって、春いちばんに入荷するニシンを最上川の川べりで焼いて食べる野宴行事があった。
また、秋田県仙北郡の村では、いまでも四月になると春ニシンを鮨にしたカド鮨をつくっているという。
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2017年10月25日

魚の旬は大量にとれる時期かそれとも味のよい時期か

魚の旬は大量にとれる時期かそれとも味のよい時期か
「三月ヒラメ(鮃)は犬も食わない」いうことわざがある。
三月には産卵のためヒラメは岸に近づくので大量に取れる。
しかし、この時期は脂肪が少なく、肉もやわらかいので味がすこぶる悪い。
やはりヒラメは冬にかぎるのである。
魚は産卵期の1~2ヵ月前から、産卵に備えてさかんにエサを食べるため、脂肪ののり具合がよくなる。
一般的には、この産卵時期が食べごろ、つまる旬だとしている。
春に産卵期を迎える魚などは、「寒ブリ(鰤)・寒ボラ(鯔)・寒ガレイ(鰈)」と呼ばれ、
冬を旬とするわけである。
しかし、魚のなかには産卵後、消耗した体を回復させるためにエサをあさり、栄養をとる魚もいる。
マサバ(真鯖)やコノシロ(鰶)などがそれで、春を産卵時期とするが、旬は産卵後の秋以降となる。
サヨリ(鱵)、キス(鱚)、サンマ(秋刀魚)、なども例外組である。
さて、冷凍ものの多い現在、魚屋の店頭を見てもどの魚がいま旬なのかまったくわからない。
しかし「青葉ガツオ(鰹)に桜ダイ(鯛)」「麦藁ダコ(蛸)に桜ハモ(鱧)」、
「秋サバ「秋ガマス(魳)」、「霜月アンコウ(鮟鱇)」、______
このくらいは覚えておきたい。
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2017年10月24日

殺したサメを供養する"サメ踊り”

殺したサメを供養する"サメ踊り”
北海道江差町
北海道檜山郡江差町に「五勝手鮫踊り」という踊りがる。
江差といえば、ニシン(鰊)サメ漁がさかんな町であった。
このニシン漁を妨害する魚がサメ(鮫)で、サメはニシンといっしょに網にかかってきては、
ニシンを食べたり、網を食いちぎったりたりした。
そこで漁師たちは網にかかってきたサメをつぎつぎと殺してしまった。
そのサメへの供養のために「鮫踊り」がおこなわりれたという。
また一方では、サメに追われてニシンが岸に寄ってくるともいわれ、
サメを漁の神として感謝のために踊ったともいわれる。
このサメ踊りは、大正のころまでさかんに踊られていたが、いつしかとだえてしまったという。
しかし近年、「五勝手鮫踊り保存会」がつくられ、町内で催しがある際に踊られるなど、復活のきざしがみえている。
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2017年10月22日

サケを奉納する”サケまつり”

サケを奉納する”サケまつり”
千葉県・山倉大神、福岡県・鮭神社
千葉県香取郡山田町の山倉大神では、毎年十二月七日に神前にサケ(鮭)を奉納するサケ祭りが行われる。
この祭りにはつぎのような伝説がある。
かって、この地方では疫病が流行し、人々がつぎつぎと死んでいった。
ちょうどそのころ、弘法大使がこの地を訪れ、村の悲惨な状態を救おうと、山倉大神へ願をかけはじめた。
その成果があり、その後しばらくして疫病は完全にとだえたのである。
村には栗山川という川が流れており、ちょうどその川にサケがのぼってきた。
人々は弘法大使に感謝し、そのサケを捧げ、山倉大神へもおそなえいたという話である。
また、福岡県の嘉穂郡嘉穂町にある鮭神社にも、同じようにサケをそなえる祭りがある。
この土地には、鮭大明神の祭りの季節になると、海神(豊玉姫命(とよたまひめのみこと))
がその御子鵜葺草葺不合尊(うがやふあえずのみこと)のもとへ使者として遣わしたサケが
この土地を流れる遠賀川をのぼり、俎石といわれる石を礼拝しにくるという伝説がある。
このサケが川を上ってきたら、その年は豊作になり、一方途中でサケが食べられてしまったら災いにあうという。
そのサケをとって食べた人は、目が見えなくなるか、または家が滅びてしまうという話である。
鮭神社には、鮭大明神が祀られていて、境内には鮭塚もあり、十一月十三日の祭りの日には、ここにサケがそなえられる。
サケがとれた年はそのサケをそなえるのだが、三十数年、遠賀川にサケは現れず、かわりに大根でつくったサケをそなえていた。
ところが昭和五十三年に、サケがこの川をのぼってきたのである。
このサケはさっそく鮭神社に奉納され、鎮魂式が行われたという。
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2017年10月07日

アワビを神饌とする”由貴大御饌祭”

アワビを神饌とする”由貴大御饌祭”
三重県・伊勢神宮
三重県にある伊勢神宮では、十月に行われる神嘗祭(かんなめさい)と六月、十二月の月次祭に、御贄(みにえ)調舎にて、
朝夕の二度「由貴大御饌祭(ゆきのおおみけまつり)」という儀式がおこなわれる。
その時に用いられるのがアワビ(鮑)である。
アワビは伊勢神宮では、もっとも重要な神にそなえる食事(神饌)にひとつである。
由貴大御饌祭では、五つのなまアワビは、お祓いをされ、天照大御神の食事を司る神である豊受大御神の前で、塩をふられる。
ついで刀を入れる所作がなされる。
料理されたアワビは他の品とともに、天照大御神にそなえられ、国家の安泰が祈られるのである。
神饌には、なまアワビのほか、乾アワビ、アワビの肉を薄くはいで乾燥させいくつもの長アワビをつづった身取アワビ、
乾燥させたアワビの小片をつづった玉貫アワビなどもそなえられる。
これらのアワビは鳥羽市の国崎町からとりよせられる。
ここには神宮御料鰒調製所があり、そこでつくられるのである。
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