2018年04月18日
「霜月アンコウ絵に描いても舐めろ」
「霜月アンコウ絵に描いても舐めろ」
冬の代表料理は、関西がフグ(河豚)チリならば、関東はアンコウ(鮟鱇)鍋である。
「霜月アンコウ絵に描いても舐めろ」といわれるほど、冬の、
とくに陰暦十一月のアンコウは番所んの産卵を控え、美味となる。
アンコウは「梅が咲くまで」と言われ、三月になると、急激に味が落ち、値も下がる。
アンコウは銚子、那珂湊、塩釜などの東日本の沖合でとれ、
鹿島灘産のものは「鹿島アンコウ」と呼ばれ有名である。
また、「岐阜のアユ(鮎)、水戸のアンコウ、明石のタイ(鯛)、ともいわれ、
水戸藩は冬のアンコウを将軍へ献上していた。
日本にいるアンコウは、ホンアンコウ(本鮟鱇)とクズアンコウ(屑鮟鱇)の二種類であるが、
南日本に多いクズアンコウはホンアンコウより味が落ちる。
俗にいう「アンコウの七つ道具」とは、皮、えら、ぬの(卵巣)、胃袋、肝、
とも(お腹から出るまるい袋状のもの)、やなぎ肉のことである。
それらにねぎや焼き豆腐などを入れ、しょうゆ味で煮ながら食べるのがアンコウ鍋である。
また、アンコウのお腹から、小ダイ(鯛)や小魚がそのまま発見されることがる。
これらは、ときにはアンコウよりも高価なものであったりしという。
これを「アンコウの汐待ち」と呼ぶ。
byチェリー号船頭の雑学
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冬の代表料理は、関西がフグ(河豚)チリならば、関東はアンコウ(鮟鱇)鍋である。
「霜月アンコウ絵に描いても舐めろ」といわれるほど、冬の、
とくに陰暦十一月のアンコウは番所んの産卵を控え、美味となる。
アンコウは「梅が咲くまで」と言われ、三月になると、急激に味が落ち、値も下がる。
アンコウは銚子、那珂湊、塩釜などの東日本の沖合でとれ、
鹿島灘産のものは「鹿島アンコウ」と呼ばれ有名である。
また、「岐阜のアユ(鮎)、水戸のアンコウ、明石のタイ(鯛)、ともいわれ、
水戸藩は冬のアンコウを将軍へ献上していた。
日本にいるアンコウは、ホンアンコウ(本鮟鱇)とクズアンコウ(屑鮟鱇)の二種類であるが、
南日本に多いクズアンコウはホンアンコウより味が落ちる。
俗にいう「アンコウの七つ道具」とは、皮、えら、ぬの(卵巣)、胃袋、肝、
とも(お腹から出るまるい袋状のもの)、やなぎ肉のことである。
それらにねぎや焼き豆腐などを入れ、しょうゆ味で煮ながら食べるのがアンコウ鍋である。
また、アンコウのお腹から、小ダイ(鯛)や小魚がそのまま発見されることがる。
これらは、ときにはアンコウよりも高価なものであったりしという。
これを「アンコウの汐待ち」と呼ぶ。


2018年04月12日
ボラは関東の祝い魚だった。
ボラは関東の祝い魚だった。
ボラ(鰡)の旬は秋口から冬であるが、夏ごろからだんだん脂肪が乗ってきて、
「寒ボラ」といわれるように寒中にいちばんの味となる。
ボラは暖海性の魚で、内湾や河口にすみ、日本では全国各地でとれるが、
産卵場所は三重から薩南諸島地域である。
かっては東京湾でもボラがよくとれたという。
そのため関東では、手に入りにくいタイ(鯛)よりも、ボラが祝い魚とされていた。
出世魚でもあるボラは、その縁起からも、「お食い初め」(生後百日目の成長を祝う膳)
には尾頭付きで使われた。
また、宮中での節分にはボラの頭で厄払いをした。
このボラも、昭和に入り、関西のレンコダイ(連子鯛)などが関東にも大量に入荷するようになり、
出番も少なくなったようだ。
ボラ漁のさかんだった三重県志摩地方の浜島町では、
一月十一日「盤の魚」という豊漁を祈る神事が行われる。
ボラには手をふれず、包丁と真魚箸(まなばし)だけで調理し、
神に供えて今年の豊漁をお願いする行事である。
また、鳥羽市国崎町にも一月五日の八幡祭りに、二尾のボラを料理する真魚箸の儀式がある。
これに似た行事は、志摩半島のあちこちで行われていたようである。
珍味の代表は「アンコウ(鮟鱇)の肝にボラのヘソ」といわれる。
ヘソとは胃の幽門部にあたる部分で、「そろばん玉」ともいわれ、このへその塩焼きの味は最高とされる。
byチェリー号船頭の雑学
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ボラ(鰡)の旬は秋口から冬であるが、夏ごろからだんだん脂肪が乗ってきて、
「寒ボラ」といわれるように寒中にいちばんの味となる。
ボラは暖海性の魚で、内湾や河口にすみ、日本では全国各地でとれるが、
産卵場所は三重から薩南諸島地域である。
かっては東京湾でもボラがよくとれたという。
そのため関東では、手に入りにくいタイ(鯛)よりも、ボラが祝い魚とされていた。
出世魚でもあるボラは、その縁起からも、「お食い初め」(生後百日目の成長を祝う膳)
には尾頭付きで使われた。
また、宮中での節分にはボラの頭で厄払いをした。
このボラも、昭和に入り、関西のレンコダイ(連子鯛)などが関東にも大量に入荷するようになり、
出番も少なくなったようだ。
ボラ漁のさかんだった三重県志摩地方の浜島町では、
一月十一日「盤の魚」という豊漁を祈る神事が行われる。
ボラには手をふれず、包丁と真魚箸(まなばし)だけで調理し、
神に供えて今年の豊漁をお願いする行事である。
また、鳥羽市国崎町にも一月五日の八幡祭りに、二尾のボラを料理する真魚箸の儀式がある。
これに似た行事は、志摩半島のあちこちで行われていたようである。
珍味の代表は「アンコウ(鮟鱇)の肝にボラのヘソ」といわれる。
ヘソとは胃の幽門部にあたる部分で、「そろばん玉」ともいわれ、このへその塩焼きの味は最高とされる。


2018年04月07日
フグの旬は”彼岸から彼岸まで”
フグの旬は”彼岸から彼岸まで”
フグ(河豚)の食べごろは「彼岸から彼岸まで」といわれる。
また、フグは「橙(だいだい)の色づくころより食いはじめ、菜種の花の咲くころに食い終わる」
「菜種フグは食うな」ともいわれる。
春がフグの産卵期で、そのころがいちばんフグの毒性が強まるからである。
瀬戸内海などではフグは一年中とれるので、「フグに旬なし」という人もいるが、
実際には産卵前の冬が、フグが最もおいしい季節とされる。
また、フグ料理の薬味にする橙、香母酢、酢立なども、ちょうどフグの季節にあうように出そろうのである。
フグの種類は日本でも四十種類ほどといわれる。
食用とされるフグには、マフグ(真河豚)、クサフグ(草河豚)、コモンフグ(小紋河豚)、ショウサイフグ(湖際河豚)、
ヒガンフグ(彼岸河豚)、アカメフグ(赤目河豚)、シマフグ(縞河豚)、ゴマフグ(胡麻河豚)、トラフグ(虎河豚)、
などがおり、なかでも、トラフグは最高級品のレッテルをはられている。
フグは暖海性の魚で、おもに九州から下関にかけての瀬戸内海の周防灘、関門海峡、豊後水道などで多く取れる。
とくに、周防灘のトラフグは一級品で、下関市場が灌漑しているため、下関のフグとして名をあげている。
明治の中ごろに、フグが毒をもつという理由で、全国的にフグを食べることが禁止されたことがある。
フグを食べた者は、拘留されるか罰金を払わなければならない。
それでも「極道の由にフグの味を知る」などといわれ、ひそかに食べていた者もいたようだ。
明治二十一年、山口県がいち早く、フグ解禁となった。
伊藤博文が下関の料亭で違法承知の上で出されたフグを食べ、そのうまさに驚き、山口県だけ先に禁を説いたという。
それから下関のフグ料理がさかんになったといわれる。
中でもフグのオスの精巣白子(白子)が美味で、別名「西施乳」と呼ばれる。
春秋時代の中国、越の国に西施という絶世の美女がいた。
越の国は呉王に征服されていたのだが、その後、呉王は西施の美しさにおぼれ、
みずから国を滅ぼしたといういわれがある。
フグの白子は、この西施の乳房にたとえられるほど、こたえられない味というわけである。
byチェリー号船頭の雑学 
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フグ(河豚)の食べごろは「彼岸から彼岸まで」といわれる。
また、フグは「橙(だいだい)の色づくころより食いはじめ、菜種の花の咲くころに食い終わる」
「菜種フグは食うな」ともいわれる。
春がフグの産卵期で、そのころがいちばんフグの毒性が強まるからである。
瀬戸内海などではフグは一年中とれるので、「フグに旬なし」という人もいるが、
実際には産卵前の冬が、フグが最もおいしい季節とされる。
また、フグ料理の薬味にする橙、香母酢、酢立なども、ちょうどフグの季節にあうように出そろうのである。
フグの種類は日本でも四十種類ほどといわれる。
食用とされるフグには、マフグ(真河豚)、クサフグ(草河豚)、コモンフグ(小紋河豚)、ショウサイフグ(湖際河豚)、
ヒガンフグ(彼岸河豚)、アカメフグ(赤目河豚)、シマフグ(縞河豚)、ゴマフグ(胡麻河豚)、トラフグ(虎河豚)、
などがおり、なかでも、トラフグは最高級品のレッテルをはられている。
フグは暖海性の魚で、おもに九州から下関にかけての瀬戸内海の周防灘、関門海峡、豊後水道などで多く取れる。
とくに、周防灘のトラフグは一級品で、下関市場が灌漑しているため、下関のフグとして名をあげている。
明治の中ごろに、フグが毒をもつという理由で、全国的にフグを食べることが禁止されたことがある。
フグを食べた者は、拘留されるか罰金を払わなければならない。
それでも「極道の由にフグの味を知る」などといわれ、ひそかに食べていた者もいたようだ。
明治二十一年、山口県がいち早く、フグ解禁となった。
伊藤博文が下関の料亭で違法承知の上で出されたフグを食べ、そのうまさに驚き、山口県だけ先に禁を説いたという。
それから下関のフグ料理がさかんになったといわれる。
中でもフグのオスの精巣白子(白子)が美味で、別名「西施乳」と呼ばれる。
春秋時代の中国、越の国に西施という絶世の美女がいた。
越の国は呉王に征服されていたのだが、その後、呉王は西施の美しさにおぼれ、
みずから国を滅ぼしたといういわれがある。
フグの白子は、この西施の乳房にたとえられるほど、こたえられない味というわけである。


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2018年04月05日
ハタハタは秋田に冬至を告げる魚
ハタハタは秋田に冬至を告げる魚
「はたはた、一名かみなりうを。
古へは常陸水戸に産す。
今は出羽秋田に多し、この魚性雷声を好めり・・・・」
と古書{魚鑑」にある。
ハタハタが「鰰」とも書かれる所以である。
ハタハタは北関東以北の太平洋や日本海に分布しているが、秋田県近海に多い。
十一月なかば頃より、海藻に卵をうみつけるため、牡鹿半島、八森などに群れをなして近づいてくる。
そのころ秋田の沿岸では季節はずれの冬雷が鳴る。
この雷を地元では「ハタハタ雷」と呼び、雷の鳴る荒海の日は大漁になるといわれている。
また雷神のことを「はたた神」といい、雷を伴う魚でハタタウオがハタハタとなったようである。
ハタハタは「鰰」とも書くが、太田南畝の「一話一言」にはつぎのように書かれている。
「魚の形小さく、鱗の中に富士山の模様生じ候 段めでたき魚と祝し、文字はいつ頃よりか魚編に神をかくなり」
秋田の人は、ハタハタをトウジョ(冬至魚)という。
これは冬至のころにきまって秋田の海岸にハタハタが押し寄せるからである。
その頃のハタハタはちょうど産卵前の食べごろとなる。
卵を産んだあとはすぐに味が落ち、ババヨ(婆魚)と呼ばれるまずい魚にかわってしまう。
ハタハタは、秋田の冬、特に正月には欠かせない魚であるが、かって角館(かくのだて)藩の武家の間では、
元旦にはハタハタを食べて家の繁栄を願ったという。
秋田の人たちは、ハタハタの一尾鮨で正月を迎える。
その時に使う重石は重いほどいいともいわれる。
有名な「しょっつる」は、ハタハタでつくった塩汁(しょっつる)を使った鍋物で、正式名は「塩汁貝焼き」。
昔は鍋の代わりに貝を使ったという。
byチェリー号船頭の雑学
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「はたはた、一名かみなりうを。
古へは常陸水戸に産す。
今は出羽秋田に多し、この魚性雷声を好めり・・・・」
と古書{魚鑑」にある。
ハタハタが「鰰」とも書かれる所以である。
ハタハタは北関東以北の太平洋や日本海に分布しているが、秋田県近海に多い。
十一月なかば頃より、海藻に卵をうみつけるため、牡鹿半島、八森などに群れをなして近づいてくる。
そのころ秋田の沿岸では季節はずれの冬雷が鳴る。
この雷を地元では「ハタハタ雷」と呼び、雷の鳴る荒海の日は大漁になるといわれている。
また雷神のことを「はたた神」といい、雷を伴う魚でハタタウオがハタハタとなったようである。
ハタハタは「鰰」とも書くが、太田南畝の「一話一言」にはつぎのように書かれている。
「魚の形小さく、鱗の中に富士山の模様生じ候 段めでたき魚と祝し、文字はいつ頃よりか魚編に神をかくなり」
秋田の人は、ハタハタをトウジョ(冬至魚)という。
これは冬至のころにきまって秋田の海岸にハタハタが押し寄せるからである。
その頃のハタハタはちょうど産卵前の食べごろとなる。
卵を産んだあとはすぐに味が落ち、ババヨ(婆魚)と呼ばれるまずい魚にかわってしまう。
ハタハタは、秋田の冬、特に正月には欠かせない魚であるが、かって角館(かくのだて)藩の武家の間では、
元旦にはハタハタを食べて家の繁栄を願ったという。
秋田の人たちは、ハタハタの一尾鮨で正月を迎える。
その時に使う重石は重いほどいいともいわれる。
有名な「しょっつる」は、ハタハタでつくった塩汁(しょっつる)を使った鍋物で、正式名は「塩汁貝焼き」。
昔は鍋の代わりに貝を使ったという。

