2017年09月20日
アユで漁と農作物の豊凶を占う”御贅(おんべ)祭り”
アユで漁と農作物の豊凶を占う”御贅(おんべ)祭り”
三重県大宮町
アユ(鮎)はその昔、戦況を占うのに使われていた魚である。
神功皇后が三韓征討ちに出発するとき、「自分の望みがかなう見込みがあるなら、この鉤(かぎ)にかかっておくれ」
と米粒をつけた鉤を川にしずめると、アユがかかったという話が「日本書紀」にある。
そのこる、アユは「細鱗魚」と書いていたが、それから魚扁に占う、すなわち現在の「鮎」という字になったという。
また、神武天皇も戦の勝敗をアユで占ったことも書かれている。
さて、このアユの占いが、現在も祭りの行事として行われている。
三重県度会郡大宮町滝原で行われる「御贅祭り」である。
この地を流れる宮川の上流に大滝峡というところがある。
その川にある大きな岩には「お鉢」と呼ばれる穴があいている。
この穴めがけて、生きたアユを放り投げ、その年のアユ漁と農作物の豊凶を占うのである。
祭りには、町長さんなど地元の人十二名が二十四尾のアユを投げ入れ、一月から十二月までを占う。
お鉢の中にみごとにアユが入れば大吉であり、そばに落ちてしまえば中吉といった具合である。
残りの十二尾は、近くにある伊勢神宮の別宮、滝原宮へそなえられる。
この祭りは、毎年七月の第一土曜日に行われている。
また、伊勢神宮でもかってはアユをとって神にそなえる「御川(みかわ)神事」など、アユに関する諸々の行事があった。
byチェリー号船頭の雑学
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三重県大宮町
アユ(鮎)はその昔、戦況を占うのに使われていた魚である。
神功皇后が三韓征討ちに出発するとき、「自分の望みがかなう見込みがあるなら、この鉤(かぎ)にかかっておくれ」
と米粒をつけた鉤を川にしずめると、アユがかかったという話が「日本書紀」にある。
そのこる、アユは「細鱗魚」と書いていたが、それから魚扁に占う、すなわち現在の「鮎」という字になったという。
また、神武天皇も戦の勝敗をアユで占ったことも書かれている。
さて、このアユの占いが、現在も祭りの行事として行われている。
三重県度会郡大宮町滝原で行われる「御贅祭り」である。
この地を流れる宮川の上流に大滝峡というところがある。
その川にある大きな岩には「お鉢」と呼ばれる穴があいている。
この穴めがけて、生きたアユを放り投げ、その年のアユ漁と農作物の豊凶を占うのである。
祭りには、町長さんなど地元の人十二名が二十四尾のアユを投げ入れ、一月から十二月までを占う。
お鉢の中にみごとにアユが入れば大吉であり、そばに落ちてしまえば中吉といった具合である。
残りの十二尾は、近くにある伊勢神宮の別宮、滝原宮へそなえられる。
この祭りは、毎年七月の第一土曜日に行われている。
また、伊勢神宮でもかってはアユをとって神にそなえる「御川(みかわ)神事」など、アユに関する諸々の行事があった。

